2017年10月29日日曜日

4 月面観察



アインシュタイン氏は 映画館 暗がりの中
自分 身体位置 意識せず 
2次元平面スクリーンに

没頭してしまった。



2次元座標平面は 無限大の広さ。
2次元平面スクリーンは 有限の広さ。

座標空間の 部分空間を 窓面としたことが
あとで 重要な 意味を 持つ。




数学者は 無限を扱う。
物理学者は 無限を扱えない。

実験は 有限範囲空間で 行われる。




有限範囲 実験空間内の すべての局所点が
互いに 相対速度ゼロ 慣性系維持してる。

数学者なら 言葉で 宣言すれば いいだけだが
物理学者なら 安定した有限空間を
頭の中で 用意しただけで 

警戒信号を発しなければ いけない。




剛体のような 無限の硬さ 維持した
点群の集まり。想定 した ということだ。

頭の中で。



エーテルに 無限の硬さ 要求するとか しないとか。
光速の話に そんなことが あったような気もする。

座標概念と地図概念の狭間(はざま)で
エーテルという単語が 必要とされた。

と 今後の科学哲学で述べられるかもしれない。




エーテルの存在有無に 興味はない。
世界観の辻褄合わせに エーテルが必要とされた。

その延長上に アインシュタイン氏が 

時間の数直線と
空間の数直線を

変換可能なものとして扱い 辻褄合わせを 引き継いだ。




単純トリックは この辻褄合わせ 剥ぎ取り
量子力学が 直面する 空間を提示する。





理想的な環境というのは 言語的 数学的なもので

そのような部分空間を 外部から 維持した
ということだ。

もちろん 無限の硬さなど 工学として 用意できない。
そのことは 構わない。



無限の硬さが維持された部分空間 あるとしたら
外部から包み 維持してる

と 考えるのが 工学発想。窓枠は壁に囲われてる。





窓枠内が 部分空間。実験に使われる有限空間。
光子が通過する 情報の窓面。
顕微鏡 接眼レンズ に相当する。

壁と壁の延長が無限性。
座標空間 に相当する。





単純トリックは このような 抽象的な話を
必要としない。気付けば。

だけど まずは 真綿で首を絞める

かのように 気付くべき思考探索範囲を
狭(せば)めていく。





実験空間の広さ 具体的に設定するとき
数学者なら座標空間そのものだけど

哲学的実験物理学では 理論物理学が注意を払わなかった
部分空間に 解釈の視線を向ける。

情報を集める 集めた情報は 視野狭窄
索敵範囲内のもの。
 
見ていない範囲への
警戒。これが哲学系の職分。




一般相対性理論は 重力の底という 
球体の中心 局所点 使ってる。

だから 特殊相対性理論仮説が崩れても

価値を持つ。


部分空間の無限硬さという 幻想 使ってないから。





質点と剛体。

剛体という幻想の 無限硬さ部分空間には
回転モーメントが 発生する。

特殊相対性理論仮説とガリレオ相対性原理が
列車長さが点の場合 どちらも成立する。

列車長さを 認知したこと自体に トリックが
潜(ひそ)んでいる。





黒板に描いた光子ペア2つの存在位置。

目を閉じたまま 光子ペア 時々刻々の存在位置
瞬時に 把握していいのは 数学者に与えられた特権。




数学者に 実験観察は 無用だ。
光子速度を定義し 数直線に描けば 終わる。

思弁の世界だから 光子そのものを確認する必要もなく
光子が残した痕跡を 事後検証する必要もない。



だが アインシュタイン氏の仮説は
「どの慣性系からでも 光子速度は 同じ」だった。

これがホントウか どうか 




実験物理学では 自分やカメラアイが 直接見るか
自分と相対速度ゼロの 現場複数局所点に配置した
局所点観察者達からの報告 まとめあげるまで

光子ペアの挙動は 不明。





現場複数局所点とは 線路枕木 各地点。

客車右端が 通過した。
客車中央が 通過した。
客車左端が 通過した。

線路枕木に立つ歩哨さん達が
ゼロ距離観察する 事実。





動いている光子を見たものは 誰もいない。

光子はボールと違って 量子力学が対象とする存在。
痕跡から 光子の存在を知る。光子の速度を知る。




現場局所点の線路枕木に立つ歩哨さん達にも
光子は見えない。光子が網膜と相互作用した衝突痕跡から

いま 光子が到達したことを知る。



事実報告複数 集めて 
歴史地図 過去の同時(刻)風景 描くか

カメラアイに見えたものから情報遅延補正して

過去の事象風景 再構成する。




カメラアイに見えた映像は
カメラアイに光子が届いた方向ごとに
光子が空間を旅した距離が違うので

情報遅延度 補正して 現場空間の同時性 描く。



窓枠隅から ダミー人形 カメラアイに
到達する 光子が旅した距離と

窓枠中央を 透過した光子が 
旅した距離が 違う。






この絵図は 窓面からの違いだけ 言及したもので
窓の外 外界にある被写体

線路レール各部や 下り列車輪郭線各部。

客車左端上隅と
客車左端下隅から 

窓面までの光子旅路距離の違い

とかも
あるの 

お忘れなく。




現場各地で 事象発生同時刻が描く点描画と

カメラアイに入光してきた方向によって
情報遅延度が異なる光子群が
撮像素子群に衝突して描く点描画の違いを

意識化しよう。



その先に いままでガリレオ相対性原理世界の
空間各地点の同時性が 同時でなかったことを知る。

ガリレオ氏は 幻想の同時性を 
被写体輪郭線で 数学処理していた。

逆転の発想だ。これから ここまでの抽象哲学話を
見る行為の 工学にし 紹介していく。




映画館の暗がりの中 自分身体存在 意識しないで
スクリーンに集中する。この状態が 数学者のもの。

見えたものを分析し 数式記述する。
これが 下手した20世紀の理論物理学者達。

カメラアイに光子が到達した仕組み 入れ忘れた。





映写機からの光子がスクリーンで反射し
網膜に到達するまでの遅延を考慮し
現場各地の同時性とか 同時性破綻有無を検証する。

結果認知した時刻。情報を集めた局所点位置。
の 位置と時刻を 問うのが

前線司令部付き 情報将校の世界。





世界の一部部分。戦場という部分空間の
状態を 確定認知した

自分(情報将校自身が王に報告送信した)の
時刻と位置を重視するのが

情報将校の世界。世界を認知した ひとり。
たった ひとりの1人じゃなく
複数のひとり。

部分空間の認識者。
同時に 確定していない状況でも
現場判断で 敵上陸地点を決定し 増援を送る。






映写機が 複数の光子 同時射出。

映写機 局所点扱いし 
地球中心に置いて

スクリーンを地球地表にすれば
球体中心から 地球地表は等距離だから

複数光子は 球面スクリーン各点で 同時反射。



同時反射した スクリーンからの光子群
地球中心で 観察するなら

プラネタリウム底面中央から光を投射し
プラネタリウム底面中央付近で
ドーム内壁面に同時反射した光を見る

理想状態。ただし 過去事象を見ている。





比較として 
地球表面スクリーン同時反射した時刻の
地球表面状態が

宇宙空間に放った光子複数を
静止衛星局所点から観察する。

地球表面に地球中心映写機から 同時到達した光子複数。
これは 同時事象。現場 地球表面での。

それを 上空の静止衛星局所点カメラアイは
どう観察するかに 注目する。






観客椅子の1つを静止衛星にする。

静止衛星から 地球地表面 見下ろす。
静止衛星高度 無限高さにしても

地球地表面 半分しか見えない。
円錐と球体の関係。





しかも円錐頂点から 球面各点への
視線距離が バラバラ。

円錐頂点にカメラアイ。

静止衛星のカメラアイが いま捕らえた
地球地表面各点からの複数光子は

地球地表面各点 同時に出発したものではない。




まるで 月 moon表側からは 地球地表 自転で
地球 地表面すべてが 約24時間で見えるのに

地球 地表の1点から 
月 表側(おもてがわ)しか観察できない。

の ような 非対称。






地球中心に設置した 映写機からの複数光子は
同時に地球地表面スクリーンに到達し

同時事象点描画 描く。


地表を見下ろす 静止衛星カメラアイ局所点からは
地球 地表面の 同時映像 見ることできない。




静止衛星複数 使って 情報を一箇所に集めて

地球地表 全面の ある時刻 Z 状態が
やっと 再現描写できる。



アインシュタイン氏 思考実験には

この 情報を集める過程が ないので

慣性系ごとに 光子の見かけ速度が 発生する。
という 発想を 拒絶してしまった。

まずは 言葉で概略を示した。






アインシュタイン氏の仮説 というよりも
理論提唱。

「どの慣性系でも 光速は一定。」
これを否定せず 導入しながら

3次元空間座標では なし得なかった
慣性系ごとに 光速の見けけ速度が
存在する やり方が 単純トリック。

ガリレオ氏が 思いもしなかった複素空間地図。
数学空間から 量子力学が対面すべき空間。
 




複素空間導入前に カメラアイが 
どのように映像情報を収集しているか

電磁現象世界で 
三角測量を体験しよう。

これが 単純トリック。




カメラアイが 答えではない。

だが カメラアイが どのように
情報を集めているか in 電磁現象世界。

知ることで 単純トリックが示す
複素空間地図導入の イメージ衝撃に

耐性が できる。



慣れ親しんだ 空間距離で 地図が
できてる世界から 旅立つ 精神力が

用意できる。



















3 分類技法


腹筋 使って 起き上がった自分の
「左眼球中心と右眼球中心」 
両端とする線分中間位置

原点とした3次元座標空間

君 基準の慣性系まで 話が進んだ。




君 ダミー人形人型 

右肩方向 X軸正方向(+∞)
頭頂方向 Y軸正方向
視線方向 Z軸正方向




起き上がっても
目蓋 閉じたままの君は まだ知らないが

君は 線路に対して等速直線運動してる 客車内に居る。




列車進行方向が 頭頂方向 Y軸 上下運動だと

窓面 外の風景が 上下に流れる。

地表から 静止衛星の高さまで上昇する上り列車。







博多駅というのが 地表の駅で
東京駅というのが 静止衛星軌道高さの宇宙駅。

ここはSF世界で 今現在の地球の話でない ことになる。

物語世界の別宇宙かもしれない。




厳密には 上下方向だと 

重力 引力 コリオリの力 等の
影響を受けて 腹に 胃に

加速や 捩(ねじ)れの力を感じるかもしれないけど

水平方向の運動でも
地表は球面なので

あくまで数学空間イメージで 等速直線運動
ということで。いま注目してもらいたいとこに誘導する。





プリマス(Plymouth)は、イングランド南西部のデヴォン州にある港湾都市で、行政はシティかつ単一自治体 (Unitary Authority)である。 17世紀、ピューリタン(清教徒)を含んだピルグリム・ファーザーズの一団、102名はこの港からメイフラワー号に乗船し、新大陸 ...




いま このブログを読んでいる読者は 日本語を理解する。
日本語を理解するものの ほとんどは 日本列島住人。

博多駅や 京都駅 東京駅の 位置関係 知っている。

大概 地図には 左に博多駅 右に東京駅が 描かれる。





表日本と裏日本。裏というのが印象悪いと
解釈される場合もあるので

太平洋側と日本海側。

表とか裏という 価値観から離れた表現方法。

しかし それでも 博多駅を左に 東京駅を右に
描く位置関係。



でも オーストラリアやニュージーランドの方々には
地図は逆様(さかさま)。

左にTOKYO駅 右にHAKATA駅。




月は表側だけを地球地表に見せる。(月の重心偏り

月から地球地表を見ると 回転してる。
地球地表から月を見ると 月は自転していない。

地図は 地球地表を見下ろす方向で描かれている。




地球中心点から地球地表を見上げる
天球図みたいな 描き方もあるのを 留意しておく。

相対性を扱うとき 

相補性 complementarityに 注意を払う。








量子力学の実験空間用意を
古典力学空間認識で いままで やっていたのを
実験準備段階の座標空間そのものを

デカルト空間から複素空間(ガウス空間)に。

特殊相対性理論仮説の単純トリックに気付けば
数学者と理論物理学者の活躍の場 拡がる。




導入部宣伝なので 堅い言葉で 衒学趣味表現だけど
わかれば 単純トリック。

空間距離から時間距離へ。

山頂までの距離を。麓(ふもと)から。
何kmから 何時間で に。




原子の個々の位置を 観察者位置から描き直す座標系。

観測者という 大雑把な慣性系代表者から
個別慣性系の特定位置 座標原点から

個々の原子位置を描き直す。

話を戻して





地図の不思議 ニュージーランドの地図は上下逆さま? 
日刊ニュージーランドライフ 
ところで、何で地図は「北が上」なんでしょうか。
上下がない宇宙に浮かんでいる地球にとって本来「北が上」とか「南が下」というものはありません。「北が上」が正しいなら「南が上」も正しいはずです。ところが、一般的に使われる地図は全て「北が上」です。そこでどうして「北が上」になったのかをちょこっと調べてみました。




まだ目蓋を閉じたままの 君(きみ) ダミー人形に
3次元座標空間を与えた。

だが X軸の正方向を ダミー人形 右側方向と指定したけど

画面絵図では Z軸の正方向 視線方向が 右方向に見える。



数学者に 左も右も ない。
方向感覚は イメージをするものの身体感覚。

数学者にあるのは、X軸正方向 X軸負方向の
指定だけ。



イメージの世界には
身体を持つものの イメージ世界には

上下と 前後と 左右が ある。




身体を持たない観察者などいない。
観測者問題などという 慣性系代表者で
思考していていては 数学かぶれ。

物理学者として恥じよ。

数学者の方々とは 手法が違う。

観察手段を分析する。






話を戻して 日本語日本列島環境で

プリマス(Plymouth)とロンドン中心街との
位置関係を知るものは 少ない。

グリニッジ天文台が どこにあるのかも 俺は知らない。

ブリテン島にあるのは知ってるが。




英語圏の住人は プリマス(Plymouth)を
英国内にあると断定しないだろう。

銀座が東京にだけ あると 断定しないように。



Y軸方向に 上下移動する場合、
列車は軌道エレベーターで 地表と宇宙空間を
上昇下降し 窓面風景は 上下に流れるの

事前にイメージできる。

まだ目蓋を閉じた君。
まだ窓面 遮光カーテンが 光を遮(さえぎ)る段階で。




実験に入る前に 予想を立てる。
場合分けを しておく。

列車進行方向が Z軸の場合は、
運転手さんの窓面と同じになる。





列車進行方向が X軸方向なら
19世紀生まれの方々が 実験解釈に入る前に
思考視野狭窄してしまった 列車進行方向となる。





描かれたダミー人形が室内で 正面と思い込む方向と
列車進行方向の組み合わせ 場合分けが
不十分だったことが これで わかった。



光子が窓面を通過して カメラアイに到達しなければ
光景を観察できない。外界の光景観察。



列車進行方向が X軸で 
光子ペアが X軸線路方向の 

正方向と
負方向に別れて放たれた場合

光子ペア の 光子1つ1つは
室内に居るカメラアイに到達しない。




X軸数直線に 光子存在位置をプロット(位置描写)
することできるのは 数学者的超越者。

カメラアイは 実験に使われた光子ペア 1つ1つの
位置情報を獲(え)る手段を持たない。



カメラアイは 光子ペアが線路や客車両端に残す
痕跡を

窓面を透過した光子で 描く。情報を収集する。



情報をもたらす光子の移動方向が
アインシュタイン氏の思考実験には

欠けていた。




それでもアインシュタイン氏の偉大さは
光子を使って 世界記述せよ

と 提唱したことである。





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2017年10月28日土曜日

2 象徴界



まだ目蓋を上げず 閉じたままにしておこう。

こんな風に 腹筋使って 
起き上がったとこまでは 叙述(じょじゅつ)した。





寝る前の風景を 思い描く。
眠りに落ちた部屋の光景を
目を閉じたまま 思い出す。

「ベッドの背凭れ(せもたれ)」 と 「部屋の窓」

この2つと 視線方向との位置関係を頭の中に描く。





インテリアの知識 家具Vol.5 ~ベッドの構造~ - インテリア情報サイト http://www.interior-joho.com/knowledge/detail.php?id=1814 @interior_johoさんから




ベッドと窓と視線方向の位置関係。
窓にはまだカーテンがあって
外の風景が 見えない。

絵図には カーテンが描かれていないが
頭の中で カーテンがあると補正してください。

まだ目蓋を閉じているのでカーテンも見えない。
遮光カーテン。




ベッドと人型は側面図。

窓は側面図だと 縦線分になってしまうので
斜めに描いて 窓面が わかるよう絵図にしてる。




古代エジプト壁画では

身体正面
横顔
視線方向 壁画閲覧者方向




こんなことが 19世紀の方々が見過ごした空間認識。

マックスウエル電磁方程式を
古典力学空間で使用する際の 手続きに関係する。

特殊相対性理論が思考視野狭窄で 気付かなかった
思考の大枠を 描いていこう。





数学者の方々には 

直線と
数直線と
線分の区別を 


自称 哲学系知識が少しある
博士号を持っていない 科学者として紹介する。
俺は俺を科学者として分類してるので。




直線と
数直線と
線分の区別が できれば

特殊相対性理論が
思考視野狭窄であったのが

すんなり体験できる。




20世紀生まれの物理学者で
頭でっかち でない方々には

実験空間と日常空間の理解から
やってもらう。

単純トリックは 数学かぶれでは体験できない。
気付くには 日常空間の描写から。



現象学とか アフォーダンスが
認知トリックに 気付くのに 必要なのだろう。

俺自身は 単純トリックが公知になってから
それらの本を読みたいのだが

単純トリックを公知にするのが 先だ。



まずは ジャック・ラカン提唱の分類。

象徴界
想像界
現実界 の

勝手解釈から紹介させてもらう。

「直線・数直線・線分」分類技法。





哲学 宗教 人生
の 「時間論」が ある。

時間論ではなく 空間論として
特殊相対性理論仮説が気付かなかった

電磁現象を扱う前提条件の大枠を示していく。



「時間論」は ややこしいので
なにを前提にしてるのか わからない。

だが 「空間論」は 手続きさえ しっかり
座標と地図について思い出せば

光が描いた光景を 奥行き方向に関するとき
どう扱えばいいか わかるようになる。



いないないばー
peekaboo で 

母親の顔が隠されたのを
母親の存在が消えたから
赤ちゃんが泣き出したと思うのが

観察者の思い込み かもしれない。
自己分析を 相対性概念に導入しよう。



母親の存在有無。空間内存在の。
そんな難しいことを 赤ちゃんは
考えていない。

かもしれない。

見えなくなったから 泣いただけ。




見えるか 見えないか と、
空間内存在の有無を

別物として 扱っていこう。



見えなくても 空間内に存在するとか
そういう難しい話は 後回し。

見えるということを まず分析する。




そのために 分類技法の一端を紹介させてもらう。

だがまずは、目を閉じたまま
左眼と右眼の中間を、

左(ひだり)眼球中心と
右(みぎ)眼球中心の中間点を

3次元座標空間の原点とする。




これがベットの上で
腹筋で起き上がった 君の慣性系座標空間。

絵図では 縦の Y軸方向が省かれてる。
頭の中で Y軸方向の存在も 補正してください。






赤で描いた左眼球(絵図では円)を
眼鏡(メガネ)の左レンズとか 双眼鏡の左側筒。

この場合 眼球は球だけど
眼鏡レンズや 双眼鏡筒は 円筒。

レンズには厚みがあるし
鏡筒には 接眼レンズから対物レンズまでの長さがある。




君の部屋は 一軒家か集合住宅建物の一室。
豪華客船の船旅中の一室。
豪華寝台列車の一室。

無音で 加速も腹に感じられないから
区別は つかない。

窓の外を見るまで。




君の寝る前の記憶など あてにならない。
君が寝ている間に 運び出されたかもしれない。
君 身体が。




特殊相対性理論仮説の話から あまりに離れているんで
関連性 思いつかないだろうから

少し 列車系の話を ここで しておく。





客車中央に人型。

絵図では左右。人型に とっては
左が背中側。右が顔面側。に する。

客車両端の壁時計が 3時になった。







客車が 2光秒長さなら 1秒後に 同時に
壁の時計2つが 3時を表示したことを知る。

現在時刻 3時00分01秒に。




客車 側面輪郭線イメージを 
頭の中で消去してみよう。

人型が 点とか 縦線分(客車全長0)として
線路を移動している。

線路を x軸とする。




人型を基準慣性系にすると
線路や x軸目盛りが 

左から右や
右から左に動く。



左を博多駅。
人型背中側が博多駅。

前方から枕木が やって来ては
背中側へと 通過していく。

このとき 博多から東京への上り列車に
乗っていることになる。





客車側面を描いた 観察者風味の絵図と

客車内に居て 
客車透明床を透過した光で 枕木群を観察する立場の

違いを堪能してくれ。




臨場感ないものと
臨場感あるものとの違い絵図。 

客車側面輪郭線を描かない
客車内部に居る人型視点描写 臨場感。
 



1秒前の自分と
1秒後の いまの自分。

列車が 線路に対して相対速度0なら

1秒前の自分から 
1光秒前後離れた枕木内蔵時計が放った時刻表示映像が
同時に同着する。



列車系と線路系では 時の流れを異なるものとして
記述するのが特殊相対性理論だけど

1秒前の自分の居た地点に注目して
絵図を描く。





列車はモスクワ(架空の駅名)を出発して
東京に向かう新幹線上り列車。

ロシアの方々には 東京に向かう下り列車かも
しれんが。




京都駅あたりの線路区間。

日本列島の時刻は どこも同じとして同期されている。
日本列島の枕木は どこも同じ時刻を同時に表示する。

モスクワ発 列車内時刻3時00分0秒を表示したとき
君は客車内人型として 真下を見る。

地点B。枕木時刻は9時00分0秒。




出発時刻と現地線路時刻に時差があるんで
特殊相対性理論仮説と関係なく

列車時刻と枕木時刻が異なっている。





区間ABと区間BC は 等距離。

列車内時間も線路時間も
時の流れは ホントは 同じなんだが

特殊相対性理論仮説に従って
ここは列車内時間として 1秒後

君は 位置Z ザインに居る。



1秒前の自分イメージが 左に進んでいるように
描いた絵図イメージ。

現在時刻 列車内 t=1。




位置A枕木と 位置C枕木が 放った光が
位置Bに 同時に届くのは当然

1秒前の自分イメージは位置Bに
残り続ける。

「1秒前自分イメージ」は
線路との相対速度0。





ところが君は 位置Cに向かってる。

相対的記述なら 君を基準慣性系にして
線路や枕木が 動いてる。

位置Cが 君に向かってる。




1秒前の枕木イメージをピンクで描いて
重ねた。

まだ わかりにくい絵図だし

混乱を誘ってるから
真剣に考えなくていい。




t=1の いまの自分が
1秒前の自分をイメージするように

1秒前の枕木群をイメージして重ねただけ。

1秒前のピンク枕木AとCの中間に
いまの自分が居る。





口説(くど)い説明を 
今の段階でしても
堂々巡りだから

しない。



でも認知トリックってのは
頭の良さ 関係ない。

体験して 修正していくしかない。

思い込みの重症度を
これから 君は 体験する。


























2017年10月15日日曜日

1 三角測量の同時性


寝床で まだ 目蓋を閉じてる。それとも、
「だるまさんがころんだ」の鬼。




「だるまさんがころんだ」の鬼は
180度 回転しないと

視野内の対象者達が 動いてる状態か
動いてない状態か

確認できない。



寝床で 夢を見ないで 意識が復活した場合も
夢であると意識して 目が醒めた場合も

まだ 目蓋を閉じている。

目蓋を閉じたまま 起き上がる。




腹筋 使って 起き上がった。
こんな感じの状態。

視線方向は 有(あ)るけど
視野がない。

まだ 目蓋を閉じている。





Lens cap で 蓋をされている状態。

カメラに 光が入ってこない。
カメラは 光を感知しない(できない)。







一眼レフだと、ファインダーいっぱいに映し出される、レンズが描き出す世界に没入して、絵を「作りこむ」という感覚です。
一方レンジファインダーのファインダーは、ほとんど肉眼で見ているのに近い感覚です。https://papacame.com/invitation-to-rangefinder



カメラにも 数学にも 詳しくないが、

一眼レフ で 見た映像は、額縁の内側だけを
見ていると意識するようなもの。



座標空間の部分集合を、全体だと思い込むのが
一眼レフに眼をくっ付けてるカメラマン。

一方、レンジファインダーに眼をくっ付けていると
フレームが2重の枠になっているのを意識するから



レンズフレーム と 瞳の縁(ひとみのふち)フレームの
2つで。

視野内に 一眼レフで切り出した構図が
視野の部分空間であることを 意識する。




もちろん 視野の外。見えていない範囲にも
空間は きっと ある・・・ハズ。



月を見ていないとき
月の存在する方向を見ていないとき

月が存在するかどうか 問うのが
いままでの量子力学 禅問答だったが、



これからは フレーム内の月(ワゴン車)ではなく
見ていない方向の 空間自体の存在を

問うてみよう。

月とか自動車を包摂する空間自体を問うことで
特殊相対性理論の単純トリックに気付いてもらう。




その先に、電磁現象世界と量子力学世界の再構築をする。





ミンコフスキー時空図 現在時点 以外の
同時刻に存在する 点群。

この点群が存在する現在時平面

この絵図は 平面空間に次元落として
日常3次元空間を イメージ化 したもの。








マルク・シャガール Marc Chagall



絵を鑑賞する能力も教養も 俺にはないが、
ハインリッヒ・ロムバッハ Heinrich Rombach への
オマージュとして出しておこう。



ネット検索で 出てきたシャガールの絵は、
一眼レフ カメラの ファインダーに
眼をくっ付けた状態で

ホンモノのシャガールの絵は
どんなだろうと、想像する「純粋イメージ」。

の、状態。



シャガールの絵を どっかの美術館で見たなら
一緒に 額縁と 部屋の壁を見る。

これがレンジファインダー 写真機 で
撮影しようとする被写体と
被写体を包む空間を

同時に見た感じ同等。




もちろん 一眼レフ の カメラマンも
ファインダーから眼を離せば

美術館で シャガールの絵を見る状態と 同じ。

構図を 切り出すのに 視野を使ってる。
視野の部分空間として 写真構図が できあがる。






カメラを向ける方向を

一眼レフ カメラ ファインダーに
眼をくっ付ける前に決める方法と、

くっ付けながら 視野狭窄状態で
被写体を探す・追い回す 方法。




レンジファインダー写真機でもない 一眼レフ でもない

スマホカメラだと 額縁の外が 異空間に なったような感じ。
液晶画面を被写体方向に向けながら
ズームインやズームアウト操作。

地図の縮尺拡大操作のようなこともできる。




ただし、スマホ液晶画面だと
演算処理して描画してるから遅延が
光学式のカメラより 大きい。



いまは 見るという行為に
多様な違いが 生じてること。

抽象化し過ぎた 数学かぶれの
20世紀物理学が 見落としたらしいこと。

気付いてくれればいい。



その もっとも大きい見落としが
「三角測量の同時性」である。

光速は有限速度 であること 知ったときから
意識しなければならない あること が あること。

忘れていないかね?



それなしで、ローレンツ変換や
一般相対性理論や量子力学の話をしても
しょうがないことを。




特殊相対性理論が論理破綻してる を 意識してから、

一般相対性理論や量子力学の価値と
これからの新たな姿が 決まる。






さあ、目蓋を上げて、
窓のカーテンを上げて、

いや、カーテンはブラインドと違って
映画館の垂れ幕と違って左右かな。





https://en.wikipedia.org/wiki/Coincidence_rangefinder





測距儀の Lens cap を 外した瞬間 飛び込んできた光子達は
何時(いつ) 出発した光なのかな。

何時、何処(どこ)を出発した光なのか。

どうやってヒトは、認知する?






写真撮影のレンジファインダーではなく
測量のレンジファインダー を 意識する。

レンジファインダー(Range Finder )とは本来距離計一般のことであるが、日本では光学視差式距離計に限定して指すことが多い。大型のものは測距儀ともいう。
レンジファインダー - Wikipedia





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